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西八条にて
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右下に。何気に三周年に突入な勢いなので、記念絵に描く人を投票してください。
自分だといつも同じメンバーなので(笑)人選は適当です。全員分はさすがに無理なので、これ以外の場合はサイトの拍手で送ってください。とりあえず三月いっぱいまで集計中。

しかし仮にこのメンバーを全員描いた場合、カオスになること必至(兼家とか兼通とか道長とかあきみっちゃんとか)
それはそれで面白いので良いんですがね(ぇ)
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hs.jpg













とりあえずこれだけ。また消えたよ最悪。せっかく全員分書いたのに。
何で急に画像プロパティが繋がらなくなるの。キャンセルもできないし。
くだらない内容だけど時間かかってるんだよこれでも。
公任:
今日は「飾太刀」と「平緒」について説明しよう。どういうものかは一番最初の全体像で確認してほしい。
この二つはどちらか一方というわけではなく、必ずセットで用いられたものだ。着用しても良いのは武官、中務省官人、勅授を受けた者となっている。あとはお約束の「五位以上」。当然だがこれは見た目を良くするためのものだから普通の太刀とは違う。このような太刀を「儀仗太刀(ぎじょうのたち)」といい、逆に警固の時などにも使えるようなものは「兵仗太刀(ひょうじょうのたち)」と言うぞ。「飾太刀」は前者に該当するな。
では装飾を見てみよう。飾太刀はとにかく派手で、目に見えるところは金銀などで細工し、あるいは螺鈿や蒔絵などもふんだんに使用されていた。鞘は一応木製ではあるが、これにも当然豪勢な装飾が施されていたのは言うまでもないだろう。ちなみに螺鈿細工と蒔絵細工は、螺鈿のほうが重視されていて節会、立后、行幸などの行事には公卿が用いるとされていた。それ以外は節会の時にしか許されていなかったぞ。
さて、たかが一本、されど一本これだけ派手な装飾品であれば当然用意するのは大変だろうということは想像できるだろう。だからこれの代用品なるものが登場し、これを「細太刀(ほそだち)」という。本来の飾太刀に比べて装飾を抑えたもので、見比べるとかなりさっぱりしている。ちなみに本来の金銀などの細工を凝らした飾太刀は別名「如法の飾太刀(じょぼうのかざりたち)」とも言うぞ。

そして平緒だが、これは布ではなく糸を組んで作られたものだ。刺繍も施されていて代表的なものは鳳凰、梅、松、獅子、孔雀などだったが、これを作るには大変な技術が必要だったために、持っているのは専ら上級貴族に限られていた。では普通の貴族はどうだったかと言えば、これに似た「どし織」というものを使っていた。平緒は飾太刀に紐を通して使い、幅三寸(約9センチ)、長さは本によって九尺とも二尺ともあるが、一尺が大体30センチなのを考えれば、二尺のほうが妥当な長さだろう。


次に細かい装飾品だ。まずは笏。文武問わずに束帯の場合は持ち、持ち手は右。威儀を整えるためで、五位以上は「牙笏(げしゃく)」となっていたが、調達が難しいことから平安中期にはほとんど木製のものへとシフトしていったぞ。素材は好みで柊や桜、榊に杉などで、形は天皇が上下が四角(神事の時は上が丸みで下が四角)、臣下は丸みを帯びたものを持ったぞ。ちなみに木製であるから当然木目があるわけだが、これもちゃんと決まっていた。良いとされたのが「板目(いため・木目が平行でなく波打っている状態)」で、不適切とされたのが「柾目(まさめ・縦にまっすぐな直線がある状態)」だった。また笏の幅や厚みはあまり一定していなかったようだな。これがやはり平安中期になると「檜扇(ひおうぎ)」も登場してくる。これは手に持っているというわけではなく、帖紙と一緒に束帯の中に忍ばせておくものだった。これは女房装束の一つとして見た人も多いと思う。この二つは威儀を整えると同時に周知の通りカンペとしての機能も併せ持っていたから、本当に必須道具と言っても良いだろう。
そして「帖紙(たとうがみ)」は、二枚一組で、束帯に忍ばせておくというよりは、少しだけ外から見える形でしまっていた。紙は「檀紙(だんし・厚手の白い紙で陸奥紙とも言う)」、「鳥の子(とりのこ・滑らかで光沢がある)」、「薄様(うすよう・鳥の子のもっと薄いもの)」などを使用していた。そして束帯に限り、紙の色は両方同じ色でなければならない、という決まりもあった。誰がどの色を使うか決まっていて、
天皇・・・紅の薄様(十六まで)、薄紅の鳥の子
東宮・・・檀紙の場合は白、薄様の場合は赤
上皇・・・薄色(うすいろ・薄い紫)
臣下・・・基本は白の檀紙か鳥の子。若年は紅の鳥の子、壮年は白の檀紙に箔押し。


そして足元の襪と沓に行く。襪は前述したように今の靴下のようなもので、指のところは分かれていない。基本的には束帯の時にしか履かないものだな。特別に許された場合のみ、衣冠や直衣の時でも履いて良しとされていた。素材は「練貫(ねりぬき・絹織物)」。
沓は種類があるが、ここでは「浅沓(あさぐつ)」を紹介する。木製で黒漆塗りで文字通り爪先から甲くらいしか入らない。靴というよりはスリッパに近い感じもするな。これは木製でしかも漆塗りだから、いくら襪を履いたとしても痛いから「込(こみ)」という部分を足の甲が当る部分に差し込んで痛くならないように工夫されていた。沓の底には今と同じ中敷きのようなものを張り、これを「沓敷(くつしき)」と呼んだ。この沓敷の布は表袴と同じ素材でできており、身分を表すものでもあったぞ。


最後に、「襴」と「蟻先」だが、この二つは道具でも何でもなく、単なる名称になる。「襴」とは縫腋袍の下の台形の部分がこれに当たり、「襴」の先端が「蟻先」というふうになっている。これに関しては分かりにくいと思おうから、後日簡単な図で示したいと思う。この「襴」と「蟻先」は武官の闕腋袍にはなく、文官の縫腋袍のみにある特徴だから、見分けるのが簡単な部分でもあるな。


以上がさっと束帯についての解説になる。これでもかなり説明は省いているから、詳しく知りたい場合は参考資料などの本を参考にしてほしい。次は武官の束帯「闕腋袍」について解説したいと思う。いつになるかは分からないが←
ちょっと落ち気味でしたが、大丈夫です(何が)バトンは後日ゆっくりと。公任てんてーはもうがっつり上げたいと思います。相変わらず接続環境は整ってませんが、一応繋がるので。
あとまさかの携帯がトイレに入水なされました(爆)データも多分全部ぶっ飛んでるだろう、ということでこれからアドレスとか登録するのが大変。全く連絡とってない人はどうしようもないですけれど、新規ではなく修理なので私の番号とかは変わってないので相手に迷惑がかかることはないのがせめてもの救い。いいんだ、今度は道真風味にデコるから。梅の蒔絵とかセンス良く。

いやー、しかし毎日ちゃんと人が見に来ているサイトだと思うとやっぱ嬉しいですね。ただでさえカオスサイトなのに。ウチに出てくる人物のうち教科書に出てくるのはそんなにいないし、マイナーのさらにどマイナーだからねぇ。もう三月になっちゃったから改装のやつ上げないと季節はずれになる(梅だから)


兼通って性質としては源氏の六条御息所がピッタリのような。あの鬼具合が。美人(?)だけど性格キッツイとか(自分、源氏は桐壷しか知りません。頭中将はおいしいと思うけど。あと匂宮)。
かつて一度だけ描いた兼通はヅカ系でした(爆)そのうちこの二人も描きたい。不穏なバックで。その前にオールナイト藤原か(謎)
公任:
さて図らずも延び延びになってしまったが、ようやくこれが最後となる。ただし前回失敗したこともあるので細かくわけてそれぞれを解説したいと思う。
houeki5.gif
















前回まで駆け足だったがとりあえず一番上の縫腋袍を着用するまでを解説したが、その縫腋袍を留めるのがこの「石帯(いしのおび/せきたい)」だ。専ら呼び方は「せきたい」のほうだから何かで調べるときはまずこちらで検索してくれ。
この石帯は分かりやすく水色で示した部分だが、要するにベルトのようなものだ。少なくとも平安時代は今と同じように一本で構成されていたようなのだが、図のように二手に分かれたのは鎌倉時代以降のことだ。ただ多くの場合、紹介されている「石帯」はこの二手に分かれているものばかりなので絵としてはこちらを採用したということを最初に述べておく。

右上の図は石帯を拡大したもので、四角いものは石帯の装飾品だ。古くは金・銀・銅だったが、平安時代はほとんど玉か石となっていて、種類としては瑪瑙や犀角(さいかく/サイの角、ただし実際は牛の角)、瑠璃、象牙などだった。加工した際の形も、このように四角いものは「巡方(ずんぽう)」と呼び、丸く加工したものは「丸鞆(まるとも)」と呼んだ。更にこれらに模様などを彫ることもあり、代表的なものをしては鬼型や獅子型、唐草などであったぞ。もちろん位階や地位によってどれを身につけてよいのか、というものもきちんと決まっていた。具体的には
無文巡方(むもんずんぽう) 天皇、帛御衣(はくのおんぞ)、または斎服の時
有文巡方(うもんずんぽう) 三位以上の厳儀の時
有文丸鞆(うもんまるとも) 公卿の通常時
無文丸鞆(むもんまるとも) 殿上人の通常時

ということになっている。天皇の帛御衣とか斎服を着ている時というのは要するに神事に際している時を指す。三位以上の厳儀とは節会や行幸の時などで、それ以外では下の二つとなるわけだ。見てのとおり、巡方のほうが厳粛な場合であるということが分かると思う。ただ石帯の中央に丸鞆、両端に巡方をつけた便宜上はどちらでも使える「通用帯(つうようたい)」というものもあったぞ。
houeki6.gif
















そしてこれが実際に石帯を着用した姿になる。上に反り返っている部分を「上手(うわて」、玉などの装飾品があるほうを「本帯(ほんたい)」と呼ぶ。どのように結んでいるのかといえば、右上の図のようになる。実際平安貴族の服はゆったりしたものが多く、腹部はどの服でも大体ふくらみで隠れてしまうから、そういう部分は単に紐で結ぶようなお手軽な形へと変わっていったわけだ。

次にこの石帯にかけて使う「魚袋(ぎょたい)」を紹介する。これは身に付ける儀式が決まっていて、節会、大嘗会、御禊、内宴、二宮大饗などだった。位階も五位以上となっており、素材も公卿は金、殿上人は銀として石帯の後ろの右(上手と本帯を留めてあるあたり)にかけていたぞ。形はその名の通り、魚の形をした符の袋で、
ここで言う符とは簡単に言えば通行証のようなものだ。

さてとりあえず今回はこれで終わりだ。次は飾太刀と平緒について解説するぞ。
え、何で公任てんてーのじゃなくてまた言い訳かって?またもパソ子から手痛いトラップを喰らったからです。

トラップ→二時間以上かけてこつこつ書いた記事をいざ投稿しようと思ったら「表示できません」

あれですか、先日てんてーに向って面倒臭い人間だと言ったせいですか(でも辞表にあれだけのものを求めるのはやっぱり)なので昨日はショックと怒りでなかなか寝付けませんでした。どうしてくれようこの環境。
今のところ配線をいじれば何とかなるようですが、それでも急に繋がらなくなったりするのでもし数日顔を出さなかったらまた切れたんだと思って下さい。不安定なんです。
書くための資料は片づけちゃったので明日です(今から二時間はキツイし)。不安なので細切れで上げていこうと思います。
何なんだこの状態は・・・。
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しょーもない歴ヲタぶろぐ。旅行記があったり読書感想があったり。
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妄想(爆)
自己紹介:
自他共に認める(?)歴史ヲタ。平安から戦国まで。最近は古代まで拡大中。
三国志もいける。ただしつまみ食い傾向(爆)
京都大好き。奈良も好き。滋賀も好き。
いずれは京都に寝殿を構える予定。
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