息抜きと称して絵を描いたり。これは京都の写真集を見ながら描きつつある清水寺。全然下書き通りでないです。太い鉛筆で大体のアタリを取って、あとは塗りつぶしてひたすら筆で伸ばしたりなじませたりするという。
あわよくばサイトに上げるか年賀状にでも使いまわそうかと(爆)印刷の解像度じゃないんだけど、いじる予定だから大丈夫です多分。
威子のレポは入内まで来ました。まだ二枚半ですが、この分でいけば立后までで確実に四枚行くと思うので(何しろ準備の話がすごく多い)あと論文コピったのは良いんですが、ほとんど彰子の話で威子の話はほぼ皆無、というほど取り上げられていませんでした。道長が一番乗ってる時期だから、多いと思ったんですけどねぇ。彰子のほうはあんまり書いてない時期なんですが、道長政権の足がかりとして重要ですからね。定子との関係もあるし。
明日は図書館行くつもりなので早めに寝ますが、もうちょっと粘ります。何しろ完成後には工作しないといけないので。もう割注(一行に二行分の小さい文字とか)入れるの面倒だしどうにもならないので、切って行間埋めたり別にコピーしたのを貼ったりします。あれ本当にやり方の本とか出てくれないかなぁ。
余談ですが、道長はマジで高松系には冷たいと個人的に思いました。そんな中で能信たんは本当によくやったよ。倫子のことは日記の中で大体「女方」と書いてるんですが、明子は「近衛御門」となってました。明子が出てくること自体ほとんどないわけですが(どっかに行くのも車に乗るのも倫子)この差。明子に対して若干他人行儀な気がするこの書き方。やっぱり能信たんスキーとしては、ねぇ(何)まあ道長がどういう態度を取っていたかは能信たんが出てくる日を見れば分かりますけどね。ちなみに最初に叙された時、能信たんは教通はもとより威子よりも低い位に。
だからってわけじゃないけど、道長はいい人と説いている山中さんにはついついケチをつけてしまいがちです。反ミッチーは土田さん(中公の『日本の歴史』書いてる人。平安時代を勉強したいなら読むといいです。概説書なので)と『殴り合う貴族たち』でお馴染み(?)実資たん至上主義の繁田さんです。繁田さんの本はいかに『小右記』が週刊誌だったかをいやでも感じるものです。私の中ではネタ本ですが(爆)この中に能信たんの
思えばこれが、能信たんとの強烈な初対面でした。
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しょーもない歴ヲタぶろぐ。旅行記があったり読書感想があったり。